2006年5月3日

素芳の生い立ち ②

   

極寒の地、樺太。
生活の大部分が、雪と共にありました。

屋根の上の雪は、2メートル以上。
出入りは窓から。
朝起きて、
窓から雪の塊を湯沸しの中に入れて、
それが生活水になります。

猛吹雪の中、父が、
会社から帰ってきたものの、
家が分からず、
会社に戻った事もありました。

豊原小学校に通うことになりました。
入学式は吹雪のため、
中止になった事を覚えています。

後日行われた入学式には、
馬車で行きました。
通学の手段は、馬車か、ソリスキー。

1年生の頃は、父にソリを引いてもらい、
通っていましたが、
2年生になると、自分でスキーを履いて、
通学しました。
スキー板は大人用しかなく、
長くて、扱いに苦労しました。

雪が積もっている間は、
道路がなくなるので、
学校まで一直線。

こんな不便な生活でも、
雪の白さと、
深いところのブルーの色は、
とても綺麗だと、
子供心に思っていました。

大事な写真。
裏には母のメモ。
父又男出兵する。
最後になるかもしれないから、
記念写真を撮る。

左から、
次女  美智代
父   又男
長女  素芳
長男  武男
母   まさ
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昭和20年8月
終戦は、樺太の地で迎えました。

母が白い割烹着を着て、
窓のところで、泣いていたのを、
強く覚えています。

終戦後しばらくして、学校帰りに、
軍用のトラックが何台も通り過ぎる中、
芳子・芳子と、父の叫ぶ声が聞こえました。
家に帰って、母にその事を言うと、
母は泣き崩れました。
父は、シベリアに捕虜として、
連れて行かれたのでした。

私たちは、父を遠いシベリアに残したまま、
引揚げざるをえませんでした。

着の身着のままで、
引揚げ船に乗り込んだところ、
末の弟が、ぐずって、
下船しました。

次の船が最終の引揚げ船。
何とか、内地の土を踏むことが出来た。

後から聞いた話では、
下船した船は、
引揚げ船にも関わらず、
攻撃されて、沈没してしまった。
本当に、命からがら、
逃げ帰ってきました。

当時の貴重な資料。
引揚げ証明書。
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  極寒の地樺太から生還した
 水墨画家 中野素芳

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